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成人式から [地域・社会]


      あの日越えて 大人になって!

ここ近辺では12日、13日に「成人式」が行われました。
今年、成人式を迎えた若人たちは、あの東日本大震災時には小学5年生だった。多くはそれぞれの小学校で経験のないあの大地震、そして大津波を体験したのだ。
あれからもう9年を迎えようとしています。
この若人たちの二十歳・成人式での「思い、決意」の一端を記します。
石巻市の旧大川小学校で津波にのまれながら助かったT君(大学2年生)は亡くなった級友への思いを胸に、節目の日を迎えた。津波で15人中6人が亡くなった。「少しでもみんなと成人式を迎えたい」と前日一人で校舎を訪れた、また式当日には胸のポケットに震災前に撮った集合写真をしのばせた。
震災当日、校庭にいた児童77人のうち生き残ったのは4人だけ、、、。T君は母親、一緒に校庭いた妹(3年生)、祖父をも津波にのまれた。高校3年時に遺族で「大川伝承の会」がつくられた、T君は語り部ガイドに参加し被災体験を多くの人々に話している。
「伝承活動を、ずうっと親たちに任せっきりには出来ない」と自ら参加し活動している。
また、多くの新成人は「将来は震災復興関連の仕事をしたい、お世話になった方々への恩返しをしたい」。「支えてくれた家族や先生方への感謝の気持ちを忘れずに、地域社会に貢献したい」。「台風19号での被災もあり、地域再生を目指す決意を強くした」。今なお災害からの復興は終わっていない、自力での復興は難しく、引き続き国からの支援は欠かせない現状にあります。


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コメント 11

ファルコ84

災害を経験した地域の子供たちは、心強い
完全なる復興に向け頑張ってほしいですね
そのためには、外からのバックアップもまだまだ必要です。
by ファルコ84 (2020-01-22 12:04) 

えんや

ファルコ84さん
震災から9年、5年生だった子供たちは二十歳になるまでの期間
に学校や職場、家庭、地域でのいろんなことを学び、震災を体験
したことからの震災にたいする意識は人一倍、いやそれ以上に
持ってきたんですね、その胸中を共有すべく訴えの場を作り
実践していると思います。足踏みする地域に勇気を与えていると
思います。
by えんや (2020-01-22 19:18) 

八犬伝

皆さん、大変な中
頑張っておられますよね。

来年から、追悼式を国としてやらない
だと
まったく、訳が分かりません。
まだまだ、帰りたくても帰れない人がいるというのに。
by 八犬伝 (2020-01-22 20:38) 

kiyokiyo

えんやさん
こんばんは
震災当時小学校5年生だった子供たちが、成人を迎えたんですね。
もう9年も経ったのですが、被災地の復興にはまだまだ時間と資金が必要です。
わが国の政治家は優先順位の判断が出来ないようです。
今年行われるオリンピックにパラリンピック、人・物・金をつぎ込んで、手を差し伸べなくてはならない人たちが蔑ろにされています。
僕は、オリンピック招致の話が出たころ絶対に反対でした。
私たち国民の代表は、私たち有権者を二の次位にしかに考えていないようです。

四国電力伊方原子力発電所3号機が運転を差し止めとの判決が出ましたね。
四国電力は不服申し立てをするようですが、目先の便利さよりも将来にわたっての偽りのない安全を求めるべきですよね。
原発の利権に群がる金の亡者たちに負けるわけにはいきません!
3,11、全ての国民はあの日のことを思い出してほしいです。
僕は、人災で悲しい思いをすることは二度とご免です。
by kiyokiyo (2020-01-22 21:38) 

えんや

八犬伝 さん
来年は10年目ですね、避けられなかったあの地震、津波からの
被災・被害からの多くの人命を亡くしました。
そして、この自然災害に機縁する福島の原発事故、、、自己避難
出来ない多くの弱者は命を亡くしました。国を挙げての追悼の場
があるべきと思いますが。

by えんや (2020-01-23 19:56) 

えんや

kiyokiyo さん
 「3,11、全ての国民はあの日のことを思い出してほしいです。
僕は、人災で悲しい思いをすることは二度とご免です。」
 まったく同感です。
防げたはずの原発事故、、、人災事故だった、、、事故調は
言いました。
 九電原発での佐賀の玄海町長が原発関連の建設会社から
100万円を受けたっていたとの報道があった。
「原発と金」、、、特に立地関係者や政治やとの切れない繋がり
があるんでしょう、断ち切らないとですね。


by えんや (2020-01-23 20:12) 

hirometai

えんや様
こんばんは
生き残った4人はどれほどの重圧を感じているのでしょう。
復興に寄せる思いは誰よりも強いのでしょう。
強く生きる20歳にエールを送ります。
忘れません。3月11日を。
by hirometai (2020-01-23 22:03) 

bp1teikichi_satoh

東日本大震災の日、爺は狛江市の全精連事務局にいました。東京地方もかなり揺れて(震度5)で、小田急線、JR南武線が不通になり、
仕方が無く寒い中、板敷きの事務局に一泊しましたが、寒くて殆ど寝れませんでした。その時一緒に一泊した事務局の人達も既にこの世には居ません。家に帰って見るとディスクトップパソコンが居間に転がっていました。
by bp1teikichi_satoh (2020-01-24 10:52) 

えんや

hirometai さん
4人は震災から今までに私たちの思いを越えた苦しみ、辛い長い
期間で移り変わる身の回り変化から学で来たでしょう。
震災からの教訓は亡くした級友と共有し力強く歩んでいるんですね。
私たちも学ばないとですね。

by えんや (2020-01-24 18:54) 

えんや

bp1teikichi_satoh さん
まさに東日本を震撼させた3.11でしたね。
ここでは夕方から雪が舞う寒い3月でしたよ、私は避難所に
支援に明け暮れました。

by えんや (2020-01-24 19:01) 

momotaro

そうですね、あの震災時の小五生が二十歳になるのですね。思い出すことが多いですね。
中でも大川小学校の出来事は辛いですね。
あの悲しみを抱えたまま、それでも前を向いて生きていっている人々は立派ですね。
敬服します。
by momotaro (2020-02-09 19:53) 

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